鐚の編集後記

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豆腐でいうところのおから 食塩でいうところのにがり

ゆうけぶり第1回の雑感

「ひがみとはまた違くない?」

「性格悪いな…」

『すずきつづみのゆうけぶり 第1回』において、このようなコメントを頂きました。本動画、特に花火のエピソードに関してのコメントだと思います。

 

 

このコメントに関して、ちょっといろいろ考えたのですが、結論から言います。全くその通りです。ただし、自分の中でですが、私の言葉足らずによって説明できてない部分や、反省すべき箇所がいくつかあったので、この反応について話したいと思います。言い訳と思ってもらって構いません。というか自己満足のための言い訳です。

 

まず痛感したことをいくつか。 

 

 

・構成力不足

 

 自分で編集している中で、花火の部分はなんとなく座りが悪いというか、浮いたような感触がありました。私自身、こうした違和感に気づいていながらも、「ほとんど完成しかけだったこと」「話の展開的にそこまで逸脱してないかなと思った」ことを理由に、この部分をそのままにしました。

 

 結果として、なんかちぐはぐですよね。葬式のエピソードトークを話した後に、そこそこ長尺の話を続けてますから、間延びして、まさに蛇足って感じです。ただ、強引に言い訳をするなら、「すずきつづみが気の向くままに自然体で話してる感じ」を出したかったってところでしょうか。

 

・説明不足

 

 「あの箇所を付け加えるにしても、もう少し説明は必要だったよなぁ」っていう反省です。そうした説明を、すずきつづみの台詞の中にニュアンスで加えるでも、その後輩のちょっと荒んだ人柄に触れるでもよかったので、ちょっと言葉足らずでしたね。ただただすずきつづみが悪く映ってしまった。

 

 これが本当のラジオならそういったこともざらにあります(し、言葉足らずがゆえに炎上したりするのも日常茶飯事です)けど、これはCeVIOラジオなので、他所様のキャラクターをお借りしてやっている以上、そういったことにならないように努めるべきでしたね。

 

・製作者の人格や嗜好の問題

 

 今回露呈しちゃった部分ですね。

 

 まず自己紹介をしますと、私は深夜ラジオのヘビーリスナーです。JUNKやオールナイトニッポンといった、THE 深夜ラジオの他にも、「問わず語りの神田伯山」とか「和牛のモーモーラジオ」のような毒の強い(※個人の感想です)番組であったり、「空気階段の踊り場」や「さらば青春の光がTaダ、BaカSaワギ」といった相当アングラなコンテンツを好んで聞いています。これらを常習的に聴いている人間ですから、当然、人格的な問題があります。こう言うと、深夜ラジオ聴きへの風評被害も甚だしいですが、「このどうしようもない屑人間をなんとかこの世につなぎとめてくれたのが深夜ラジオだった」という話です。そこはお間違えの無きよう。ラジオ聴いてるいい人も存在します。きっと。

 

 ゆうけぶりにおけるすずきつづみは、〈人間臭さ〉を前面に出していきたいというのが私の中にありました。今回においても、ちょっと厄介な部分だとか、そういうのを魅力的に映していければいいなっていうのがあったんです。ただまあ、私の意図したことは失敗に終わっているわけですが。

 

 原因としてはまず私の技量不足があります。しゃべりのプロでもない私が書いた文章ですから、伝わることも伝わらない、ということもあったと思います。ただし、これに関しては、「スキルを磨く」という回答が存在する分、まだマシといえます。

 

 次に、私の性格の問題です。こちらはより深刻です。なぜかと言いますと、私は制作過程の中で、すでにあの番組を20回くらい聞いているのですが、その際に、すずきつづみという人間はとっても魅力的に映っているからです。私の中では第一回のすずきつづみは「ちょっぴりニヒル文学少女」程度にしか映っていないのです。要するに、今回頂いたコメントによって、作り手と受け手の間に大きなギャップが存在していることがわかりました。

 

 正直、「この人めちゃくちゃいい性格している」と思って作っていたので、この反応を見て初めて、どうやら私の人格が歪んでいるらしいということが理解できました。

 

 

〇足りなかった説明の補足

 

 ということで、説明しようね。言い訳とか、過剰反応とか思われても別にいいんで、というか実際そうですし。

 

 こうやって自分の思ってることって言語外に収めるのは当然限界がありますから、可能な限りは言語化していくのが適当でしょう。それに、私自身作品に対する自己解釈は進みますし。まあとにかく、言わないよりは伝わるかなって思って書いてます。伝わらなかったらごめんなさい。

 

性善説のさんらいず!性悪説のゆうけぶり

 

 これが今回頂いた反応の主な説明になり得ると思います。両者は「コンセプトが違う」とタカハシは説明していましたが、それも厳密には違います。

 

 どちらかというと、根底にある思想の部分が異なります。それが性善説性悪説ってわけです。厳密にはこの二つの違いってさほどないのですが、俗語としての「性善説」「性悪説」であると受け取っていただければと思います。

 

 ささらさんらいず!では、ことあるごとにささらさんが好意的な解釈をするシーンが見られます。たとえばタカハシが放送時間前に消えてアイスを上げるのだって単なる話題作りのための嫌がらせかもしれませんし、ルドーの件だってつづみさんが悪いいたずらを仕掛けてるにもかかわらずそれを最大限魅力的に伝えようと努力してるんです。

 

 でも、そんなの普通の人間だとなかなかできないし、現実はそこまできれいではないですよね。私からしたら、そうした思考回路は超人のそれです。そこで、ゆうけぶりでのつづみさんはさんらいず!のささらさんとの対立概念としての役割を持っています。ここでは比較的私の考え方に寄せて、等身大の人間を演出しようとしたわけです。

 

 で、ここからは軽いネタバレにはなるのですが、深夜の番組はCeVIOの三人がパーソナリティーを務めて、対照的な二人の女性陣を潤滑油のようにとりもつタカハシという構図を想定していました。

 

 「昼の番組は性善説のスタンスで、夜の番組は性悪説のスタンスで出ている」というのは伊集院光の談で、私は甚くこの言葉に感銘を受けて各番組の在り方を決定したのですが、よくよく考えれば、これも良くなかったですね。

 

 プロの熟練の技術あっての言葉を素人の浅い解釈ごときで実践したところで、そううまくいくかよってことです。

 

 じゃあ今後はどういうスタンスでやるの?って話ですけど、今のところまとまっていません。CeVIOという素敵なコンテンツを汚すくらいなら健全なものを目指していけばいいのかなとか、本当に自分が作りたいものを、CeVIOを介さずに作っていくべきなのかな。とか。

 

 一つ言えるのは、自分の表現したいものを優先した結果、元来存在するCeVIOのキャラクターをないがしろにするような行為は、褒められたもんではないのかな、ということです。

 

☆その後輩が悪意があったかどうかはわからない。

 

 もう一つはっきりさせておきたいことです。

 

 「もし、ささらさんが同じ出来事をフリートークにしたとしたら、どんな内容になるのか?」ということです。

 

 きっと、全く異なる内容の話になると思います。きっと、ささらさんはもう少し好意的に後輩の言葉を受け取ると思います。お話としても、もう少し収まりのいい、心温まる話にできたかもしれません。でも、つづみさんはそうは受け取らなかった。その人の心の中の悪意をキャッチしたんだと。悪意が実際にあったかなかったかは別問題としてもですよ。パーソナリティー(ここでの”パーソナリティー”は”人格”の意味)って、本来そういうもんだと思うんですよ。「正しいとか間違ってるとか超越して、その人を映し出す。その表象の集合に価値がある」って、私はそう思ってたんです。

 

 でも、私はそれをすずきつづみという半架空のキャラでやってしまったんですね…。…うん。やっぱり花火の話は切るべきでしたね。ミスったなぁ…。

 

〇今後の問い

 

☆路線変更をするべきかどうか

 

 私がラジオ動画を作る目的は、究極的には、自分が聴きたいラジオが欲しい(けどない)からなわけで、私が聴きたくなったら私の聴きたいものを作るという今の制作スタイル自体は、割と間違ってないんじゃないかなと思っています。

 

 だけど、こうして反応が見えてしまうということは、良くも悪くもモチベに影響をきたすので、次回以降、ある程度改善していく必要があるのかなとか思ってたりするのも事実です。今回のような致命的な意識の乖離は改善する必要があると考えています。あとは、良い感触がもらえれば励みになりますし、逆もまた然りです。無視はできんよねってことです。

 

 ただ、迎合しようというつもりはありません。繰り返しますが、私は自分の聞きたいものを作るだけだからです。実際に、聞くために作っています。私の作品の一番のファンは私なわけですから、そこを大事にしていく方針は揺るがないと思います。製作者なので当たり前ですが、私はゆうけぶりの初回をめっちゃ楽しく聞けますし、さんらいず!で個人的に見つけた反省点を改良して、半ば満足していた時にこうした反応を頂いたので、自分の中で結構な驚きだったんですよね。つくづくあの異常性に気づけない私のヤバさが…

 

 でも、リアルのラジオっぽい形式の、私の動画のすずきつづみを見たことによって、すずきつづみの評価に悪い作用を及ぼすのは流石にマズいなと感じている次第です。もちろんそうした事態にならないようにするべきなのですが、そこらへんは下段にてお話ししようと思います。

 

 

☆深夜の番組の懸念

 

 ちょっと大事な話をしますと、次の動画に深夜番組と位置づけされる番組が残ってるんですよね。とはいえまあ初回なのであまり問題になるような展開はないと(私の確認した範囲では)思っているんですが…。

 

 もちろんCeVIOに喋らせるわけですから、内容は配慮をするつもりですし、もとより深夜ラジオのある種醍醐味でもある下ネタも封印する予定でした。ですが、今回の反応を見るに、夕方の内容でこの反応となると、ゆくゆくは深夜の内容もかなり危なくなる可能性が高いです。先ほど、「自分本位で迎合はせずにいく」と申したばかりですが、そもそも前提として必要になる最低限の基準が皆さんとずれていると思われます。

 

 なので、しばらくは溜まりに溜まった原稿の見直しという作業に専念しようと思います。とはいえ、いかんせん見直すのが私なので効果があるとはいいがたいのですが…。

 

〇最後に

 

☆今後のお話について

 

 次回投稿はかなりお時間をとらせていただきます。いや、別にそんなのどうでもいいでしょうけど、私の中ではっきりさせておきたかったので。

 

 言い忘れてましたけど、こうした反応を頂けることは、ありがたいことだと存じております。うれしいです。やせ我慢でもなんでもなく、これは本心です。

 

 私は、CeVIO動画のルール、風土をまだよくわかっていません。そのうえ私は、ラジオ畑の人間です。よそ者です。よそ者が、作法も知らずに畑を荒らしているのが現状です。

 

 情けない話なのですが、これでも、かなり用意周到に制約を設けてきたつもりでした。下ネタや悪口、自己憐憫の封印や、「毒はどのくらい出すか」とか、行動原理や選曲の趣向等々、色々と考えてはいたのですが、甘々でしたね。申し訳ありません。

 

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肝心なところが抜け落ちてる割には無駄に膨大な設定の数々

 

☆お礼

 

 今回のように率直な感想を頂けると、勉強になります。コンテンツの向き合い方についていろいろと考えさせられました。

 

 今のところ、とりあえずは模索しながら動画を出していこうという所存です。結構な量の台本が水泡に帰すことになりそうですが、それが結果的にCeVIOというコンテンツが被る損失を抑えることになるのであれば、改稿をやらないという選択肢はないです。

 

 ということで、ここまで見る数寄者がいるかどうかは別として、お気持ち表明でした。次回以降も見てくだされば幸いです。

 

雑感の続きはこちら↓

 

anoldcoin.hatenablog.com